医者だからと言って

世間では医者はエリート、頭の良い職業だと思われてる。妻は私と付き合い始めた時、伯母からこう言われたそうだ。

「◯◯ちゃん、凄いわね〜。お医者さんと付き合いなんて。話は合うの?難しい話が多いんじゃない?」


なかなかどうして、普段の私はふざけた会話ばかりしている。特に同じ大学の後輩達とは、下ネタ、不謹慎ネタ連発である。最も分かりやすい例えとしては、くりぃむしちゅーのannのような会話である。いい歳して何やってるんだと妻に呆れられる事も多い。


どうして自分はそういう会話を好むのかと考えてみた。1番は好きだから好きなのだが、10代〜20代で貪り読んでいた遠藤周作の影響も大きいのだと思う。彼も仲のいい作家との会合ではふざけた会話をしていたらしい。なぜかというと、当時の文学青年にありがちな、苦悩に満ちた顔で横文字連発の文学論を語るのは嫌だった。何でそんなに小難しく、意味ありげに語らないといけないのかと。そんな「靴下の臭いような奴」にはなりたくないと思った。そして、彼は仲のいい作家との会合ではふざけた話をしていたが、一見ふざけた会話の中で創作活動や人生において意味のある考えを作っていった。


大作家と自分を同一視するつもりは毛頭ないが、私自身も後輩とのふざけた会話から学んでいる事は多いし、偉そうに大上段からモノを言うのには羞恥心がある。そう、医者になると、っつーか医学生の時から「靴下の臭いような奴」は沢山いる。次回はその話。


前回言ってた、先生と呼ばれたくないというのも遠藤周作の影響だね。今回書いていて気づいた。