医学部時代の話③

医学部の学生は教養課程では全くやる気がない。(例外もいるが)

めんどくさい受験勉強が終わり、医学とは全く関係ない講義が始まる。やる気でないのも仕方ないと言えばそうだが、限度がある。


唯一医学と関係あったのが医学序説という講義。1週間に1回、医学部の教授が順番に来てそれぞれの専門分野の触りを説明する。その講義には医学部生以外も出席しているが、授業中喋っているのも医学部生、代返してるのも医学部生だ。


さも当然のようにカンニングの作戦を練る連中も居た。そして、数年後には集団カンニングをして現場を捕まえられた数人が留年した。


そんな状態なら、前回話した教授が厳しかったのも分からんでも無いか・・。

医学部時代の話②

医学部に入って、最初の1年(学校によっては2年)は教養課程だ。他の学部と共通の授業だ。多くの医学部生にとって、大学生らしい生活を送れる唯一の期間だ。2年以降は(一部の例外はあるが)医学部だけのこじんまりしたキャンパスで、全ての授業が必修で、毎日同じメンツで授業を受けることになるからだ。教養の間はある程度の選択肢が与えられ、授業によって顔ぶれも変わる。

 

科目としては統計・英語・第二外国語・化学・物理・生物・人文系の選択科目・医学序説といったところ。化学・物理・生物は講義とは全く別科目の実験もある。

 

先ほど選択肢があると言ったが、何故か自分が入学した年から選択肢が急に縮まった。本当に何故?第二外国語はドイツ語かフランス語かに決められた。生物・化学・物理は予め決められたものしかダメだった。同じ講座名で他の曜日・時間帯に開講しているものでもダメとされた。が、それにも例外はあった。生物の教授で一人偏屈者が居て、何を言っているか分からない小声で授業をする癖に、異常に採点が厳しい男だった。理学部でも評判が悪かったらしいのだが、医学部生は何故かソイツの授業を受けなければいけなくなったのだ。(前年までは同じ講座名ならどれでも受けても良いとされていたのに!) 私は何とか追試で通ったが、年々合格基準が厳しくなり4つほど下の学年では25人程度が単留させられそうになった。医学部側の奔走で全員がレポートで進級できた。しかし彼には不本意な結果だったようだ。次の年も単位保留は25人というのは一緒だったが「この4人はレポート出してもダメ!」というラインを作り4人が単留していった。そのような事があってから、彼の授業を受けるのは決まりだから仕方ないが、保険で同じ講座名の授業も選択する者が続出したのだ。結果、彼の授業を落としても進級できるようになった。こんなことになるなら、以前のようにどの授業でも選択できるようにしとけば良かったのにと思うが、大学側の考えていることは分からない・・。

 

しかし件の生物教授にも言い分はあるだろう。医学部生がいかに不真面目か、全学キャンパスで評判が悪いのか。次回はその話を。

医学部時代の話①

メチャクチャ間隔が開いてしまった・・・。普段、臨床場面で抱えているモヤモヤをひとまず吐き出すことが出来たからだろうか。

あまり放置していると、もう書かないような気がしたので、上記題名で記事を書こうと思う。ただし自分が学生の時の話だから、現在とは乖離があるとは思うが。

 

最初に医学部=お金がかかるというイメージがあるかもしれないが、国公立の場合は他学部と学費は一緒です。念の為。

余談ついでに、私自身は出身地からかなり離れた地方医学部出身である。だから何処の大学に行ってるのか聞かれた場合に「○○大学です。」と答えると怪訝な顔をされる。何故わざわざそこに?という感じだ。さりとて自分から学部を言うのも嫌らしい。自分自身どうかわしたら良いのかと思っている内に卒業してしまった。

 

医学部に入って最初に悩むのは家探しだった。多くの医学部は他学部と違うキャンパスを持っている事が多いからだ。ウチの大学は郊外に全学キャンパスがあり、中心部(といっても、都心とは程遠いが・・・)に大学病院を含めた医学部のキャンパスがある。1年(学校によっては2年)の教養課程は全学で、それ以降は医学部で授業が行われている。ウチの大学の場合、バスで30~40分も離れている為、1年間全学の方に住んで引っ越すか、1年間医学部キャンパスの方から通うか選ばないと行けなかった。自分自身は引っ越す手間を考えると、1年間バス通学の方が楽だと思った。が、それは少数派だった。大体みんな全学の方に住んでいて驚いた記憶がある。

 

次回からは1年生から順番に振り返ろうと思う。

医者だからと言って2

前回は医者だからといって、いつも堅い話をするわけじゃないという話をした。しかし、どの世界にも小難しく話すことが好きな人というのはいる。

 

特に多いのが必要以上に英語・外来語を使いたがる人達である。カルテに「家族と面談を行い、病状の説明を行い、了承を得た」で通じる筈なのに、わざわざ「informed consent」とか「IC」と書きたがる人達である。年配の医者のカルテで「verb ehemann」と書いてあるから何かと思ったら、夫同伴というドイツ語らしい。その他は日本語で書いているのにこれだけドイツ語の意味が分からない。

 

去年行った学会で面白い御仁が居た。二人組で同じ医局の先輩・後輩のようだ。その内、先輩の方が特筆に値した。風貌もやや特徴的(小太りでやや天然パーマ)だが、話し方が面白いのだ。後輩の研究だか論文の指導というかアドバイスをしているのだが、やたら横文字が多かった。「だから先生のabilityで言えば~」「これはobjectiveなdataというかevidenceはあるの?」「これは私自身のsubjectivityが入っているかもしれないけど~」etc。この面白さが文章で伝わらないのが残念だ。自分自身にそれをデフォルメする才能が無いのも残念だ。中川家次長課長がいれば、この男だけで1本コントを作ることができただろう。返す返すも残念だ。

医者だからと言って

世間では医者はエリート、頭の良い職業だと思われてる。妻は私と付き合い始めた時、伯母からこう言われたそうだ。

「◯◯ちゃん、凄いわね〜。お医者さんと付き合いなんて。話は合うの?難しい話が多いんじゃない?」


なかなかどうして、普段の私はふざけた会話ばかりしている。特に同じ大学の後輩達とは、下ネタ、不謹慎ネタ連発である。最も分かりやすい例えとしては、くりぃむしちゅーのannのような会話である。いい歳して何やってるんだと妻に呆れられる事も多い。


どうして自分はそういう会話を好むのかと考えてみた。1番は好きだから好きなのだが、10代〜20代で貪り読んでいた遠藤周作の影響も大きいのだと思う。彼も仲のいい作家との会合ではふざけた会話をしていたらしい。なぜかというと、当時の文学青年にありがちな、苦悩に満ちた顔で横文字連発の文学論を語るのは嫌だった。何でそんなに小難しく、意味ありげに語らないといけないのかと。そんな「靴下の臭いような奴」にはなりたくないと思った。そして、彼は仲のいい作家との会合ではふざけた話をしていたが、一見ふざけた会話の中で創作活動や人生において意味のある考えを作っていった。


大作家と自分を同一視するつもりは毛頭ないが、私自身も後輩とのふざけた会話から学んでいる事は多いし、偉そうに大上段からモノを言うのには羞恥心がある。そう、医者になると、っつーか医学生の時から「靴下の臭いような奴」は沢山いる。次回はその話。


前回言ってた、先生と呼ばれたくないというのも遠藤周作の影響だね。今回書いていて気づいた。

先生と呼ばれる事

以前にも書いたが、自分は先生と呼ばれる事が苦手だ。もっと言えば、患者さんや家族・コメディカルに呼ばれる事は我慢できるが、医者同士呼び合うのは嫌だ。何様だと感じて、メチャクチャ痛い奴みたいな気がする。


確かに便利な言葉だと思う。中堅以降になると、医者歴や年齢がお互い分からないこともあるだろう。 年は1個上だが、医者歴は1個下とかも普通にあり得る。その上、転科とかも絡むとややこしくなる。そのような場合に先生と呼び合うのは無難というのは分かる。こういう使い方なら仕方ない。しかし同期や明らかな後輩に使うのには抵抗があるのだ。


自分自身、研修医になりたての頃に上級医から「◯◯先生」と呼ばれた時はこっ恥ずかしいを通り越して、何故か怒りを感じた。そう呼んどけばいいんだろという若干バカにされた気がしたからだ。今考えると、そう呼ぶ事で医師としての自覚をとか考えていたのかもしれない。でも自分としては君付けや呼び捨てで呼ばれた方がよっぽど良かった。


より酷いケースもある。ウチの父親は非医師だが、高校の同窓会で集まった時に医者になった者同士で先生と呼び合っていたらしい。医者になる前からの人間関係があり、なおかつ非医師の人間も大勢いる中でそんな事を言う神経が分からない。何か嫌らしいし、特権階級にでもなったつもりかと。自分自身の戒めになる話だった。


しかし、ここまで書いて思ったが、そんな事を気にしてグチグチグチグチ言ってる自分の方がよっぽど嫌らしいし、先生という言葉に必要以上に重みを感じているのかもしれない。そして近い後輩には100%呼び捨てや君付けだったが、離れた後輩には時折先生と呼んでいる事にも気づき自己嫌悪。

本質を見抜くって・・

一連の吉本騒動。社長の会見から、パワハラや給与の問題で様々な意見が飛び交っている。

そんな中、「論点がズレてる」「この問題の本質は違うだろ」という声がネット上で出てきた。自分も同感だ。そうそうパワハラ発言や給与の問題より大事なことがあるぞあるぞと思った。しかし、彼らの大半が「そもそも宮迫が嘘ついたのが悪い。」「そのせいで問題が大きくなった。」「処分撤回はおかしい。」と述べている。

・・・・、いやいや本質はそこじゃないやろと。


そもそも何で宮迫さん達が責められたかと言えば反社会勢力と繋がっていたと判断されたからだ。しかし今回の2つの会見で明らかになったことがある。それは「入江さんの公式イベントに吉本・他事務所・イベント会社が関わっていた。そしてそのイベントに件の反社会勢力がスポンサーとなっていた。」ということだ。吉本が反社会勢力と繋がっていた。それが分かってたのか、それとも気づかなかったのか。どちらにしろ宮迫さんら芸人が背負うべき問題じゃなくなっている。吉本がズブズブだったのならそっちが大問題だし、知らなかったのなら吉本が分からなかったのを宮迫さん達が分かる訳ないだろうと。


今、問題にすべきなのは吉本(及び他事務所・イベント会社)が反社会勢力と繋がっていたのか、途中で気づいたんならそれはいつなのか、宮迫さん・亮さんに記者会見させなかったのは吉本と反社会勢力の繋がりをバラされなくなかったからなのか。こういう事が真っ先に議題に挙がるべきだ。なのに、社長のパワハラとか芸人の給与とか、宮迫の嘘が悪いとか・・。


本質を見抜くってなかなか難しい。社長の会見はあちこちで批判されているけど、ワザとツッコミどころを作っておいて本当に隠したいことを隠した策士かもしれない。(考えすぎか?)


ちなみに芸人の処分だけど、契約解除は重いと思う。上記の理由から反社会勢力との繋がりについての責任を芸人サイドに背負わすのは酷だと思う。芸人が背負うべきこととしては、直営業をしたこと、それに追加して入江さんは直営業を企画したこと、宮迫さんは嘘をついたことだと思う。ただ、直営業の何が悪いかと言えば税金の問題、そして会社と芸人の問題。申告修正した今、吉本が許すのならそれで良いじゃんと思う。また、宮迫さんについて「嘘をついたこと」は悪い。それを責める人は分かる。しかし、「嘘をついて事を大きくした」と責める人は分からない。完全に結果論だが、宮迫さんが嘘をついたことで吉本と反社会勢力の繋がりが明らかになった。事が大きくなったからと文句を言うって、それこそ黒幕の言い分じゃないかと。普段から嫌いだから、叩ければ何でも良いと理論が滅茶滅茶になっているとしか言いようが無い。入江さん・宮迫さんは半年程度の謹慎、その他は9月くらいからテレビに出たら良いんじゃないのか。そう思う。